おかげさまで
こどもの成長に沿うように
信頼関係が出来てきた。
こどものご機嫌を伺って家事や生活をする毎日。
緊張感に身体はかたくなってはいるものの、少しは落ち着いてきた。
覚書をしておこうと思う。
今私のひざの上で満足そうに眠っているこども。
とても神経が過敏で、火がついたように泣くようになったのは退院する1週間前。
耳をつんざくというか、脳を直撃するような泣き声は非常事態を知らせるかのよう。(まさに非常事態を察してか、ある瞬間から始まったのだけど、その話はまたいずれ)
退院して2ヶ月、11月の初めころまで、少しずつソフトにはなったものの泣くといえばこの泣き方だった。
生後100日を迎えるころまで、ただただ必死で過ごした。
手伝いにきた義母が帰ると、孤独で押しつぶされそうになった。
子どもと一緒に苦しんでいた日々だったのかな、と思う。
子は、母のお腹の中でひどく苦しかったかもしれない。
たぶん苦しかったのだろう。
また生まれて直後、最初の温かい時間を得られなかった。
あたりまえに出来ると思っていた母子同室はもちろんなし。
今になって、子の力強い泣き声を聞くと思う。
苦しかった分、思う存分泣きなさい。
本来だったら四六時中触れ合ってぬくもりを確かめる、新生児の時期に
1ヶ月入院。
毎日母が面会に通ったものの、私自身、お世話するときは借り物を預かるような、ある意味よそよそしさのようなものがあった。
低体重で生まれると、NICU(新生児集中治療室)に入院となる。
最初は手先だけでしか触れられない保育器にいる。
出産の術後、私自身の血液中酸素濃度が下がったため、肺血栓を起こさないよう配慮し、その日のうちに子どもに会いに行くことができなかった。
次の日夜遅くになってやっと歩いてもいいということになり、
お腹を切ったばかりの人とは思えないような、まっすぐな腰の角度で看護師さんを驚愕させつつNICUへ向かった。
夜なので部屋の明かりは落として暗い。聞こえるのは測定器などの出す機械的な音。
やっと会えた小さいわが子は、保育器の中で泣き叫んでいた。
こんなに泣いても、保育器の中に自分の泣き声が充満している。外にはその振動のように聴こえるのみ。逆に外から誰がやさしく話しかけたとしても、クリアには聴こえないだろう・・・と思うとあまりにも不憫だった。
次の日会いにいったときだったろうか。
担当の医師がちょうど検査をし終わったところだった。
父親は術後すぐにNICUに行き、医師から説明を聞いていた。
私はこのとき初めてお会いしたので、生まれたときと、その後の経過の説明があった。
「生まれた直後は血糖値が下がっていたが、処置をしてすぐに回復。その後問題なし。これは低体重で生まれた子にはよくあること」
口元には栄養を直接胃におくるためのチューブ、大人の小指も太すぎて握りこめないほどの小さな手には輸液などをおくるための針が指してあり、腕に板で固定されている。足には血中酸素濃度のモニターがつながれている。
あまりにもけな気な姿に、涙がこみあげる。
医師はそっと立ち去った。
その後は、看護師にオムツの替え方を教えてもらったり
口から飲めるようになったら(最初は3ccとか少しずつ)、哺乳瓶で飲ませ、手で頭部を支えてげっぷをさせる。
毎日体重をきいて、増えているのを知っては喜び、
飲む量が増えたのを聞いては喜び3時間おきの哺乳に合わせて面会。
私自身は回復と母乳開通のため、病室で看護師、助産師のみなさんにお世話になる。夜中も含め、3時間おきに搾乳。これは子どもが退院するまで続いた。眠さとの闘い。
スタッフの手厚いケアのおかげで入院中は楽しく、やりがいがあった。
妊娠中にひどかったむくみが退き、体重は激減。
9日間を経て退院。お盆すぎのまだ夏が終わらない午後。
タクシーから見る田んぼの青さが日の光をうけて眩しく、どこも輝いて見えた。夫とふたりでの帰り道。
外の世界!
子どもを病院に残しているためか、病気ではないものの弱った身体で、生きる方を向いてスタートしたためか、胸にぐっとくる眩しさ。
久しぶりの自宅は慣れない。
まるで知らない家のよう。家具が、床が、初めて見るもののよう。
さっきまでいた病院には出産を控えた母たち、毎日生まれてくる子どもたち、そのスタートを支えるたくさんのスタッフ。
難しい症例を扱う病院は、母たちの心の通い合いがあり、同じ病室でも遠くから眺める者同士、スタッフと一緒に奇跡をみつめるおもしろさと感動であふれていた。
自宅には、夫と義母と自分。
たったそれだけ。
父母としての責任だけが目の前にある。
家事をし、私の心のケアを引き受けた義母の性格の明るさ、楽しさ、賢さがあっても、なお静かな家。
その静けさが心に重くのしかかった。
次の日から冷凍母乳を持って、面会に通う。
母乳は低体重の子どもに合わせて栄養の高いものが出るという。
少しでもたくさん飲んでもらおうと必死だった。
本来なら自宅で療養する期間に外出するのはなかなかしんどかった。
家族が心配し、支えてくれた。
ある日、こどもの手に刺さっていた針が取り除かれた。
またある日には保育器から出て、新生児用のベッドに移されていた。体温調節が出来るようになったということ。最初は厚着でタオルに巻かれていた。
そしてNICUに隣り合わせた回復期治療室に移動。退院まで過ごす最後の部屋だ。
つづく
posted by mipochi at 14:20|
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