盲目の音楽家ふたり。
小さな頃病気で失明したレイ。
レイの母は、彼の目が見えなくても母に甘えず自分でできることをするように、手出し・手助けを我慢した。危ないとわかっていても(それはときに身をひきさかれるような思いだったのかもしれない)。
生まれたときから盲目だったスティービー。
ありとあらゆるやんちゃぶりだったという説がある。
目が見えないのに木登りする息子。
母はどうしたかしらないが、誰も止められないほど彼は自分の魂に正直に生きてきた。
でも、躊躇するような心情の吐露や心の弱さが溢れる楽曲もたくさんある。それよりも強い心を感じるものが多いような気がするが。
盲目の音楽家ふたり。その活躍は多くの人に影響を与えている。
レイの歌からは暗闇のなかの光を感じる。
スティービーの歌からは目が見えないことを忘れてしまうほどの、色彩の豊かさ、世界を見通す視線を感じる。
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あるとき母と車で走っていたときのこと。
歩道を足の不自由な人がひとり歩いている。
それを見た母のひとこと。
「あららら・・かわいそうに・・・」
これにはあきれた。
なんという考えなしの浅知恵。
彼は母よりも人生を謳歌しているかもしれない。
確かにすばやく歩けないことでできないこともあるかもしれない。
でも足が不自由なことは彼の一部であって、彼自身が腐ったりしていなければ仲間との絆を持って笑いの耐えない毎日かもしれない。
人それぞれ、違うものをもっている。
それが車で走っていてもわかるほどの目だったものなのか、10年つきあってもわからないほどのものなのか。
どちらにせよ目だった違いを見て
足が不自由 → 自立できない・やりたいことができない制限された人生
と短絡思考するだけの母に、かける言葉はなかった。
ツッコミをいれると「だけどさあ〜」とネチッコイので、もはやツッコミません。
その短絡思考で生きてるつまらなさの方がかわいそうですよ〜〜 オーイ
ネガティヴな想像力ばかりが想像力じゃありませんよ。
ポジティヴな想像力は気をつけて鍛えないとね。
ネガティヴなことをいうばかりのTVなどに洗脳されてる世代なんですから我々。
上には上がいますよ。
上は見た目の「五体満足」に限られていると、知らず知らずの間に思ってませんか?
えらそうにこんなこと書いちゃってますが、自戒の意味もありますし
このひと言がタイミングよく、省みるきっかけになる方がいるかもしれないので書きました。
私の母のように一見すると善人にしかみえないひとは要注意です。
私も彼女の感性を無意識によしとして、影響をうけ育ってきたのでそういうところからの人生スタートでした。
口を開けば、「でも・・・だって・・・だけど・・・できない・・・」
それがどれだけ周りに悪影響を与えるか。
歩く去勢装置ですよ。
その調子で子どもを育てたらどうなるか。
ものごとを悪い方、悪い方にしか考えられずドツボにはまる子ども。
人生にいいことなんて、あるとは知らないで生きる人間に育つ。
<呪縛からとかれて>
小さい子どもはめいっぱい成長しようとしている。人生に前向きな状態。そこへ、親が禁止事項でかためる。
禁止されたこと、やりたいのにできなかったことずくめで育つとどうなるか。
(何を言っても止めようとしてもやる子は禁止が多くなってもしょうがないかもしれません。どちらかというと「よく言うことを聞く子」「怖がりな子」に禁止ばかりをするのはやりすぎという前提で。子どもによって加減をするのが大人の仕事なんでしょうね)
考えられるのは
・まずは無気力。これがいちばんキツイ。
・大きくなっても、心からやりたいことがみつからない。
・やりたいことはあるが、素直にとりかかれない。
わたしは1番目と3番目の呪縛にとらわれた者です 笑。
最もやりたいことの前で「遠慮する」「躊躇する」(身近な大切な人への遠慮。親に対して感じたことそのまま、現在の家族などに感じる)。
やりたいことができないとどうなるか。
やりたいことができなくて元気のない状態が長くつづいている人は、知らずにまわりのエネルギーを奪っていたり、嫉妬にとらわれたり、自分自身を好きでなく、誰をも好きでない、大切なことを大切にできないという、生きてるんだかどうだかわからない状態になります。
さらに同じような波長の低い人とご一緒になるので苦しい状態(信頼のない関係は、ののしりあっているのと同じです)になる。
気づいて抜け出せばいいですが、人生そんなものだと思い込んで死ぬ人もあるでしょう。
これは私の実体験です。
良い出会いを捉えて上向きの人生を歩み出して、なんとか成長し続けてこれました。
現在はかなり元気者です。10年前の私くらいしかしらない人にしたら別人のように体力も気力もあります。
で、本人次第でそれなりになるでしょう〜
なんて達観できますか?
これから子育てするという、切羽詰った状況で。
私はできません。
親の意識に問題があれば、必ずといっていいほど子どもに問題がでる。
親の問題を子どもに背負わせて、(そこまでは百歩譲っていいとしても)同じような問題(いじめとか)をくりかえしていつまでたっても解決しないで、それである日突然「はい、親としての責任果たしました」
「(自立してない、あるいはその萌しなし状態で)はい、もう自立する年頃でしょ」なんて言えません!
親から受けた呪縛は根強い。
こどもの言い分を理解せず「やっちゃだめ。ママは受け入れられません」という状況で育った人は、本人の受ける度合いが強いほど
(親は意識していないから、それほどでもない。うちの子はいい子だから大丈夫!なんて油断している)
困った状況になるのは当然のことでしょう。
尤も、生命の危険から子どもを守ったり、自分で身を守る術を教えるのは親の責任ではあるが。
守るという目的がいつのまにか、親の思考力の足りなさ(とりあえずなんでもやめさせる。痛いことを経験させない。学ぶ機会を奪う。)、親の体面を保つためと混同されていないか。
(・・これがこれからの自分に問われるんだなあ・・・)
元気がなければ自分で人生きりひらく人間にはなれないです。
人のちから借りて、成長する人間になれないです。
意味なく遠慮して、生きていけるほど甘い時代じゃないです。
猫と暮らすのとはちがう。
猫はこの家のなかで生きていける。
子どもは人間のなかで生きていくのだから、親がそのチカラ、チエを殺いではいけない。
当たり前のことですが、これをミに沁みて、やれるか。ということです。
かろうじてでも、できている人がたくさんいるなら、世の中もう少し元気な人が多いでしょうね。
呪縛からとかれつつある今の私、母ちゃんになるんだな・・・
がんばるぜ。
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